立命館大学 石水毅研究室

石水研通信

長谷純宏先生セミナー(第3回生体分子機能学セミナー)

11月2日、「研究を考えよう」と題した長谷純宏先生によるセミナー(第3回生体分子機能学セミナー)を開催しました。長谷先生は、糖鎖構造解析の世界的スタンダードとして用いられている糖鎖の蛍光標識法を開発された張本人です。この方法を開発・確立され、今まで見出されてこなかった糖鎖や糖質関連酵素を発見されてこられました。その経験を踏まえ、「独創性」「発見」の捉え方を先人たちの言葉を引用しながら丁寧に解説してくださいました。「泥の中をはいずりまわって光るものを見つけるのが研究」「ターゲットが決まっていないことをするのが研究」「仮説検証型の研究をするな」「注目の山に登る研究をするな」。

このセミナーではいろいろな気づきがありました。「発見」には、先入観なくひたすら観察することで見えてくるものを頭カラッぽにして捉える力が必要ですね。カラッぽとはいえ、勘に頼る部分は残しておかなければいけない。とても難しいですが、学生時代に体験してほしいところです。不測の現象に出会ったときに、記憶に煩わされずに、色眼鏡を使わないで、自分と違う他人の意見を取り入れながら、新しい方法を見つけながら。どんな小さな発見でも接して欲しい。

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長谷先生のセミナーにもあった「発見のモニュメント」

仏教の到達点の一つは覚り(悟り)です。覚りとは、色眼鏡を外すこと、これまでの既成概念に囚われないで自由を得ること。こういうところと科学における発見が通じるところがあることを、このセミナーでは教えてくれました。聖書ヨハネによる福音書に「真理はあなたがたに自由を得させるであろう」という聖句があります。真理であるイエスを信じれば罪の奴隷から解放されて自由になるというのが一般的解釈です。でもこの聖句はそんな狭い解釈でとどまるものではないと思います。自然に隠されている真理を前にしても、これまでの自分の考えを取り去らないと真理は見えてこない、発見できない。「隠れている真理を前にして真理が少しでも垣間見えるようになること」は、「いろんな既成概念から解き放たれて心が自由になるということ」と同意だ、と捉えられます。科学と宗教の接点って、こういうところにあると思います。

優秀な科学者には人格的な人が多い、というのは私の持論です。人と接するとき、イヤな人だな、とか、この人と話すのは憂鬱だな、という思いを抱くことがあります。優秀な科学者は、いろんなことに対する見方がニュートラルで、自分の思い込みを捨てる訓練ができているので、人と接するときも先入観なく対応して、人に対して悪い感情を抱くことなく接することが多いのでは、と思っています。(長谷先生は発見を重ねてこられた方だけあって、学会の会長を務められたりしましたが、人格的で人望があった方なので会長に選ばれたのだと思います。)

話がそれましたが...。普段聞くことができない貴重なセミナーで、私も含め、各自がいろいろ感じるところがあったセミナーとなったと思います。石水研は長谷先生の考えの流れを汲む研究室でもあります。自然を観察することによる発見を積み重ねた上で、生物工学的視点の研究を組み立てたいと思います。セミナーには武田研も参加してくださり、良い交流が持てました。長谷先生、ありがとうございました。

20151104092036.png長谷先生と武田先生と近くのレストランにて。

配席の関係で長谷先生が真ん中になっておらず、失礼いたしました...。

石水しるす。